日文原版书 山彦乙女 (新潮文庫) 1974/10/22 山本周五郎 (著)
武田家再興――百三十余年にわたる悲願に翻弄される甲州甘利郷のみどう一族。江戸の新御番、安倍半之助は甲府勤番中に失踪した叔父の遺品を調べるうち、叔父を狂気へと導いた武田家の莫大な遺産をめぐる「かんば沢」の妖しい謎のとりことなり、己れもまた甲州へと出奔してゆく。著者の郷里甲州の雄大な自然を舞台に謳いあげた、周五郎文学に特異な位置を占める怪奇幻想の大ロマン。
¥
8
七五品
仅1件
作者山本周五郎 (著)
出版社新潮社
出版时间1974
印刷时间1978
装帧平装
页数248页
货号安A36
上书时间2018-05-01
商品详情
- 品相描述:七五品
-
内容完整。纸张年久泛黄。
- 商品描述
-
トップカスタマーレビュー
Kindleユーザー
5つ星のうち4.0盛り上がりに欠けますが
2015年8月24日
形式: Kindle版|Amazonで購入
山本周五郎の作品の中では,特に淡々とした展開に思いました.
ではありながら,主人公の独語,考えの中に自分の今の生き方を見直させてくれる者があることは確かです.
榎戸 誠
ベスト100レビュアー
5つ星のうち5.0過去も現在も、未来も、人間は生きてきて、悩んだり苦しんだり、愛したり憎んだりしながら、やがて死んでゆき、忘れられてしまう
2013年7月22日
形式: 文庫
過去も現在も、未来も、人間は生きてきて、悩んだり苦しんだり、愛したり憎んだりしながら、やがて死んでゆき、忘れられてしまう。――山本周五郎の伝奇小説『山彦乙女』(新潮文庫)の一節である。
「人間の為したこと、為しつつあること、これから為すであろうことは、すべて時間の経過のなかに、かき消されてしまう」と続く。これだけだと溜め息が出そうになるが、「慥(たし)かなのは、自分がいま生きている、ということだ。生きていて、ものを考えたり、悩んだり、苦しんだり、愛しあったりすることができる、ということだ」という部分までくると救われる。
「人間はなにを為したかではなく、何を為そうとしたか」が大切だというのが、周五郎の人生観であった。
周五郎の作品の中から心に染み入ってくる言葉を選び出し、「下町――人情のぬくもり」「職人――矜持と意地」「岡場所――苦界の女たちの涙」「士道――武士の本分」「医道・芸道・婦道――ひとすじの道」「滑稽――ユーモアとペーソス」「不思議――夢か現かワンダーランド」「法――裁きとゆるし」「現代――都市と人間」「エッセイ――読者へのエール」のジャンルに分類したのが、『山本周五郎のことば』(清原康正著、新潮新書)である。恰好の周五郎文学案内にもなっている。
— 没有更多了 —
以下为对购买帮助不大的评价