清朝晚期,日本住友财团第十五代当主住友吉左卫门友纯(1865~1926)书简一通一页,此一页为其拜帖,是印刷品。原装信封(尺寸见图示),有邮票邮戳。信封正面左边所贴狭长小纸条为原藏家所贴。住友友纯,号春翠,著名茶人,在当时日本以名士风流著称,日本皇族后裔,其兄为西园寺公望。最后两图为网上资料。
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八品
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作者住友友纯
年代光绪二十五年 (己亥1899)
页数1页
上书时间2024-12-31
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住友友純(すみとも ともいと、旧字体:住友 友純、元治元年12月21日(1865年1月18日) - 大正15年(1926年)3月2日)は、住友家15代当主。茶人、風流人としても有名で、号を春翠と称す。男爵であり、東山天皇の男系7世子孫である。
住友友純
没年:昭和1.3.2(1926)
生年:元治1.12.21(1865.1.18)
明治大正時代の実業家。右大臣徳大寺公純の6男。母は千世浦。京都生まれ。幼名は隆麿,号は春翠。長兄に侍従長・内大臣の徳大寺実則,次兄に西園寺公望がいる。明治25(1892)年学習院法律撰科を退学後,住友家の養嗣子として入家し,翌年住友家を相続して名を吉左衛門と改め,友純と称した。以来住友家家長として別子銅山を中心とする家業の発展に努め,44年男爵を授与され,大正10(1921)年に住友総本店が合資会社となると社長に就任した。この間事業は,鉱山業から伸銅,鋳鋼,化学,銀行,倉庫,林業へと派生,拡大していったが,友純は住友の象徴的存在としての地位にあったといえよう。別子開坑200年を記念して,明治33年には皇居前広場に楠公銅像の建立を果たしたが,欧米視察の経験から公共施設の寄付にも熱心で,大阪図書館(府立中之島図書館)の創設,東北帝大鉄鋼研究所の設立,美術館用地を含む公園(天王寺公園)の提供などをおこなった。東北帝大の本多光太郎が発明したKS磁石鋼は,住友吉左衛門の名にちなんで命名された。また中国古銅器の収集家として有名で,そのコレクションは『泉屋清賞』『増訂泉屋清賞』などの刊行を通じて紹介され,現在泉屋博古館(京都市)で公開されている。<参考文献>住友春翠編纂委員会編『住友春翠』
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