日语珍本 空海の風景=空海的风景〈上下全套〉中公文庫 司馬 遼太郎著)名著排行榜屈指名家好评上册描写在中国各地取经读经研究交往人员往来地名人名经文诗文叫绝叫好畅销知名度高中国佛教历史研究文献史料论文牛
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作者日文本 司馬 遼太郎著中国取经读经研究交往人员往来地名人名经文诗文叫绝叫好畅销知名度高中国佛教历史研究文献史料论文牛
出版社日本 中公文庫 屈指名家好评率高上册描写在中国各地取经读经研究交往人员往来地名人名经文诗文叫绝叫好畅销知名度高
出版时间1979-07
版次1
印刷时间1979-07
印次1
印数3千册
装帧软精装
尺寸150 × 120 cm
纸张纯质纸
页数341页
字数421千字
定价118.98元
货号386-150205-cbsrkkf1
上书时间2024-12-29
商品详情
- 品相描述:九品
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书脊封皮有1毫米点微小裂孔
珍本畅销 空海の風景=空海的风景〈上下全套〉中公文庫 司馬 遼太郎著)名著排行榜屈指名家好评率高上下册全套描写在中国各地取经读经研究交往人员往来地名人名经文诗文叫绝叫好畅销知名度高中国佛教历史研究文献史料论文牛
平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ人類普遍の天才の実像に迫る。読みやすい大きな活字の新装愛蔵版。 --このテキストは、単行本版に関連
平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作。昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞。
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登録情報
文庫: 370ページ
出版社: 中央公論社; 〔改版〕版 (1979/07/20)
言語: 日本語
ISBN-10: 4
- 商品描述
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珍本畅销 空海の風景=空海的风景〈上下全套〉中公文庫 司馬 遼太郎著)名著排行榜屈指名家好评率高上册描写在中国各地取经读经研究交往人员往来地名人名经文诗文叫绝叫好畅销知名度高中国佛教历史研究文献史料论文牛
司馬遼太郎の作品はほとんど読んだつもりでいたが、『空海の風景』(司馬遼太郎著、中公文庫、上・下巻)が未だだったことに気づき、慌てて手に取った。
そこには、お馴染みの司馬遼太郎の世界が広がっていた。それも、従来の作品よりも徹底された状態の世界が。司馬は、「あたりまえのことだが、私はかれ(空海)を見たことがない。その人物を見たこともないはるか後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起状を浮かびあがらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した」と言っていたのに、書き上げたものでは空海と司馬が渾然一体となっているのである。司馬の前世が空海だったのか、空海が司馬として生まれ変わったのかというぐらい一体となっている。
司馬を真似て断定的に表現するならば、空海というのは、相当に嫌な性格の持ち主である。少なくとも、近くにいて楽しい人ではない。その最大の被害者は、真面目一方で、先輩でありながら後輩の空海に謙虚に教えを乞うた最澄であった。空海の勝手なライヴァル視に遭って、最澄は本当に気の毒である。
「空海の食えぬところは、そういうところにもある」、「もっともそのあたりはすばしこい空海のことである」、「最澄は空海にくらべ、ぎらつくような独創性に欠けるところがあった」、「空海は後年、最澄に対してつねにとげを用意した。お人好しの並みな性格ではとうてい為しがたいような最澄に対する悪意の拒絶や、痛烈な皮肉、さらには公的な論文において最澄の教学を低く格付けするなどの、いわばあくのつよい仕打ちもやってのけた」、「そういう利き目の鋭どさが、空海の身上の一つでもあった」、「空海は淡泊な男ではなかった。というより並はずれて執念ぶかい性格をもっていた」、「かれ(空海)に終生つきまとううさん臭さは、かれが人間の世の中を緩急自在に操作する才質をしたたかに持っていたことと無縁ではない」、「空海という人物のしたたかさは、下界のそういう人情の機微の操作にあったといえる」、「空海はうそをいう人ではなかったが、ただ謙虚な人ではなく、むしろ自讃する人であった」、「空海はそういう論理をまもるということについては、厳格、忠実なだけでなく、ときに守るために必要な政治臭をもつという点で狡猾なほどであった」と、著者は空海の強かさに繰り返し言及している。
「密教が勃興してまだ歴史があたらしいということは、日本から遠景としてそれをみれば、それ以前の仏教よりもさらに発展した形態であるという印象になるであろう。のちに空海の競争者の立場におかれる最澄ですら、自分が(唐から)持ちかえった天台宗の体系に自信をもちつつも、しかしその体系に密教が入っていないことを悩み、一方空海のほうは、『密教こそ仏教の完成したかたちである』として最澄の体系に対抗し、しかもその自信は終生ゆるがなかった」。空海は、インドにも中国にも見られないほどに論理的完成度の高い密教を作り上げた世界唯一の人物だというのが、著者の結論である。純粋密教というのは、空海が確立したもの以外はその後ほどなくインドでも中国でも消えてしまい、チベットではすぐさま変質し、今ではどこにも遺っていない、空海の思想のみが遺ったというのだ。
また、「かれ(空海)がみずから感得した密教世界というのは、光線の当てられぐあいによってはそのまま性欲を思想化した世界でもあった」と、著者は踏み込んだ表現をしている。
類い稀な論理化能力、優れた劇的構成力、鋭い政治的感覚を持つ空海が、超人的な精神と論理を懸命に駆使して、インドにも唐にもなかった「真言宗」という密教を理論的に構成し、確立したのである。真言密教という豪華絢爛たる壮大な体系を樹立したのだ。強かな性格だったからこそ、空海は「悪魔的なほどに複雑な論理を構築する男として歴史に登場する」ことができた、と著者が結論づけている。
なお、
空海を語った本で一番よく知られている(一番売れている?)本だろう。たしかに読み易い。
わたしもご多聞にもれず、かつて、この本から空海に入った。他に読みやすく手ごろな空海の本がなかったという事情もある。
その後、空海に関する本をいろいろ読み、また東寺や高野山を訪れ、まがりなりにも30年、空海を追いかけてきた。そして今、この本は空海への入口に過ぎないとつくづく思う。
これで空海のことは大体わかったような気になってしまうケースがどうも多いようだ。しかしこの本の空海像は何から何まで漠然としているのです。ところが読者は漠然とした話であるはずのことを脳裏に焼き付けてしまう。いつしかイリュージョンがイリュージョンでなくなってしまう。
語り部(手品師?)、司馬遼太郎の面目躍如たるところだろうが(それが作家としての端倪すべからざる能力!)、読者は自分がいい餌食になっていることに気づかない。これは不幸だ。この本を入口にするのは良いが、それで完結して満足してしまう読者は気の毒に思える。もっと肥沃な領野が広がっているのです。功罪相半ば、とはそういう意味である。
本当の空海に少しでも近づくことを願う人に、僭越ながら経験から僅かながらの示唆を提供させていただきたい。わかり易い本とは言えないが、ちくま学芸文庫『空海コレクション2』をまずはお勧めしたい。だがこの本は解説が回りくどいのが難点。いっそ、門外漢である建築家が最近出した著書の後半部分で空海のセンテンスを選りすぐって解説しているのが出色(春秋社『空海 塔のコスモロジー』)。
続き
初の空海本です。
司馬さんがおっしゃるように、この時代を実際に見ることは叶わないが、司馬さんの筆により、彼が生きた時代の風景が目に浮かんできました。世界でも稀に見る天才だったであろう空海。今後も他の作家の空海を読んでいきたいと思わせてくれました。
空海ビギナーにオススメします。
上巻は空海誕生から遣唐使船に乗って入唐、唐の都長安で密教を伝授されることとなる恵果和尚に見える(32歳くらい)まで。青年期の空海については謎が多く、さすがの司馬遼太郎も「であったに違いない」「であったように思える」「であったかもしれない」を連発していて、読む方としては若干もどかしさを感じることも。それでも当時の時代状況や関係史料から大胆な空海像を作り上げることにあたりは見事で、狡くて、打算的で、意地悪で、執念深くてなどなど人間的な個性を持つ一介の僧として、完全無欠の天才聖人といったイメージの空海をぐっと身近な存在へと引き寄せています。しかし一方で、空海の生涯最大の謎、なぜ唐に行ったのか?どのような身分だったのか?という疑問については、大日経の疑問点を明らかにしたいため、身分は期間二十年の留学生、との通説をほぼ踏襲。本書の刊行(1975)から9年後となる1984年、松本清張が『密教の水源を見る』で、空海は日本で大日経なんかを学んでいない、唐に渡ったのも日本にいる唐僧の多くが律宗だったため元々は律宗を志望、密教を得たのはほとんど偶然だった、身分も単なる遣唐大使の通訳(私的な雇員)に過ぎなかった、という持論を展開しているのと好対照で、その意味では、大胆な空海像を描いたのと同様、謎の多い空海の青年期についてももっと独創的な解釈で切り込んでほしかったというのが正直なとこ
とうとうこの作品を読んでしまいました。名前のみはずっと有名でしたが、ずっと避けていた作品でもあります。そして司馬遼太郎という存在が日本の社会で持った意味合いをここでも再確認しました。司馬遼太郎の魅力は何と言ってもその語りのわかりやすさです。特にこの語りやすさが、空海というおよそ常人にはinaccessibleな存在に向けられた場合には強烈に働きます。この上巻は、空海の唐への滞在の時点で終了します。
資料が限られる中で、著者の想像力がここでも最大限に飛躍していきます。讃岐の風土、彼の家系、空白の数年間、彼の思考の特異性そして遣唐使への選抜といった側面から語られていきます。これらのisolatedな出来事が「三教指帰のわかりやすい解説と共に、司馬遼太郎の思いと視角の観点から結び付けられていくのです。そこに浮かび上がるのは、著者が作り上げた「空海を取り囲む風景」なのです。そこには、当時の日本における仏教という輸入物の存在と位置付けや最澄との対比などもわかりやすく語られています。著者は日本には珍しい「形而上学の体系」の天才として空海を史実に基づいて、描かれている。唐の研究生として命がけで入唐し、流ちょうな中国語を使ってあちらの役人を信頼させたり、灌頂が行われたり、いろいろな描写が目を見張る。空海ファンには待ちに待った一冊。ただ、最澄ファンや天台宗の方たちは見ないほう
完全な小説でもなくノンフィクションのドキュメンタリーでもないという難しいスタイルにもかかわらず、とても引き込まれました。本書を通じて題名通り空海がどういう人物であったか、空海がどういう風景を見ていたかということで、司馬遼太郎氏の執念のようなものを感じました。かすかな手がかりでさえ用いて空海がどういう人物であったのか、どのような人物に囲まれていたのかということで、司馬遼太郎氏の想像力の僅か三ヶ月で両部の秘密(象徴)を悉く学び、二百余巻もの根本経典も原典・新訳・漢語訳を含めて、これらをすべて、独学で、修得したという離れ業。
天台宗を体系自体を全部、国費で仕入れに渡った最澄とは異なり、空海は、謂わば、私費で、経費も与られずに、密教を一個人として、留学生(るがくしょう)として、請益してしまう。しかも、長安での滞在は、僅か2年に満たないで、本来の20年分の経費をも、惜しげもなく、一挙に、曼荼羅や密具への謝礼や経典写経の経費に充ててしまったのである。そして、帰国のタイミングも、後から考えれば、これを逃していれば、帰国できなかったかも知れないという、奇蹟に近い絶妙なタイミングである。入唐時での偶然の漂着、帰国に際してのタイミングという奇跡的僥倖、幸運の強さ、更に、「異芸、未だ嘗て倫(たぐい)あらず、」と唐僧から謳われた異能は、どこから、培われたのであろうか?生来、その人間が有していた固有の才覚なのであろうか?書道の達人、帰国後の三筆と称せられた嵯峨天皇との関係、或いは、長安での文化人との交流、帰国時での詩文の交換など、入唐に至るまでの現地交渉過程での文章力、漢文作成能力、など、こんな多彩な異能は、どう考えたら良いのであろうか?
帰国後から上京までの謎の期間を、必ずしも経典資料の整理の期間とは考えず、むしろ、自分に宗教的したのであろうか?
最澄は、天台過程を止観業と呼び、密教過程を遮那業と呼び、二つを同格視し、伝法公験という証明書紛いまで発行させたことは、密教を飽くまで、仏教の最皇帝とか、貴族とかを認めていたとしても、その宗教上の思想性の展開については、必ずしも、自身の経験と唐での様々な国との、今で謂う外国人との人的文化交流や生活から、そういう類の階層・身分に固執することはなかったのかも知れない。むしろ、異国での異文化交流や様々な宗教に広く触れ、且つ、言語の段階から、直接触れることで、謂わば、当時のコスモポリタン的な視野に、立脚できたのかも知れない。その意味では、国家護持仏教であるにもかかわらず、必ずしも、国という小さな枠では、守れない視点があろう。後の世での高野山の既得権益化と政治支配者化を考えたときに、宗教家の於かれた政治的・社会的な情勢は、権力による庇護なのか、対立・構想へと突き進むのかが、微妙に、別れるところである。
華厳経の世界を具象化した毘廬遮那仏(大仏)が鎮まっているという東大寺の政治的な位置、
新しいものが、旧いものを駆逐するという考えの中では、何故、共に、外国から入ってきた旧来の奈良仏教も、最澄・空海の新しい仏教も、併存する形が可能なのであったのであろうか?純思想的な、或いは、宗教上の純然たる論争による結着ではなくて、むしろ、当時の経済的、政治的、社会的な理由と取り巻く環境の要因が考えられるのであろうか?
平安朝に於ける藤原氏や薬子の乱や道鏡による政争の影響から、或いは、唐での政争を経験することで、安禄山の乱より、如何にして、自身の思想・宗教を守るのか?影響されることなく、如何に守るのかに腐心したのかも知れない。鎮護は、決して、根本的な鎮護国家仏教へと、空海の場合には、繋がるモノではなかったのではないだろうか?
顕教と密教:顕教とは、外側から理解出来る真理で有り、密教とは、真理そのものの内側に入り込み、宇宙に同化するという業法と理論で、空海は、真言宗という体系を樹立することで、密教が顕教をも包含する最高の仏法であるということを、自ら、宇宙に近づくことは出来ないし、筆授では、決して、成し遂げられないと考えられた。最澄は、密教の一部を取り入れようとし、決して、密教そのものの行者になるつもりは決してなかったのではないか?だから、灌頂を受けても、あとは、書物で、密教の体系を知ることが可能であると、考えていたのであろう。最終的には、伝法灌頂を授けずに、程なく、経典を貸すのみで、両者は、その途中
空海の書には、「霊気を宿す」とまで云われると、何をや、謂わんであろうか?
自然そのものに、無限の神性を見いだすという考え自体、自然の本質と原理と機能が大日如来そのもので、そのもの自体が、本来、数で謂えば、零で、宇宙のすべてが包含され、その零へ、自己を同一化することこそが、密教に於ける即身成仏徒でも云えるのか?
入定という思想:空海は835年に、紀州高野山にて、62歳でその生涯を閉じる。、原理そのものに化してしまうことを究極の目的とする。当時の宗教のレベルは、1200年も経った今日でも、誠に、不可思議で有り、「人間の肉体は五蘊(ごうん)という元素が集まっているものである」そうであるが、確かに、般若心経の一句でも、「照見五蘊皆空」(ショウケンゴウンカイクウ)「度一切苦厄」(ドイッサイクヤク)となっている。よくよく、文字の一語一語をしっかりと理解して、読経をしなければならない。まるで、ナノテクか、原子物理学の世界に迷い込んでしまいそうである。それでは、ひとつ、般若心経でも、唱えてみることにするか?さてさて、いよいよ、四国巡礼、阿波足慣らしのまずは、決め打ち準備に、掛かろうとするか!?足許不如意だから、サイクリングで、ゆっくり、ゆくとするか?雨が心配であるが、考えてみれば、雨も又、自然、宇宙の一部に過ぎないのであれば、自分も又、同様なのであろう。そう考えれば、濡れることも当たり前なのであろう。恐るるに足りぬか?でも、やはり、レインコートは、必要かな?一応、リストに入れておこう。司馬遼太郎の作品はほとんど読んだつもりでいたが、『空海の風景』(司馬遼太郎著、中公文庫、上・下巻)が未だだったことに気づき、慌てて手に取った。
そこには、お馴染みの司馬遼太郎の世界が広がっていた。それも、従来の作品よりも徹底された状態の世界が。司馬は、「あたりまえのことだが、私はかれ(空海)を見たことがない。その人物を見たこともないはるか後世の人間が、あたかも見たようにして書くなどはできそうにもないし、結局は、空海が生存した時代の事情、その身辺、その思想などといったものに外光を当ててその起状を浮かびあがらせ、筆者自身のための風景にしてゆくにつれてあるいは空海という実体に偶会できはしないかと期待した」と言っていたのに、書き上げたものでは空海と司馬が渾然一体となっているのである。司馬の前世が空海だったのか、空海が司馬として生まれ変わったのかというぐらい一体となっている。
司馬を真似て断定的に表現するならば、空海というのは、相当に嫌な性格の持ち主である。少なくとも、近くにいて楽しい人ではない。その最大の被害者は、真面目一方で、先輩でありながら後輩の空海に謙虚に教えを乞うた最澄であった。空海の勝手なライヴァル視に遭って、最澄は本当に気の毒である。
「空海の食えぬところは、そういうところにもある」、「もっともそのあたりはすばしこい空海のことである」、「最澄は空海にくらべ、ぎらつくような独創性に欠けるところがあった」、「空海は後年、最澄に対してつねにとげを用意した。お人好しの並みな性格ではとうてい為しがたいような最澄に対する悪意の拒絶や、痛烈な皮肉、さらには公的な論文において最澄の教学を低く格付けするなどの、いわばあくのつよい仕打ちもやってのけた」、「そういう利き目の鋭どさが、空海の身上の一つでもあった」、「空海は淡泊な男ではなかった。というより並はずれて執念ぶかい性格をもっていた」、「かれ(空海)に終生つきまとううさん臭さは、かれが人間の世の中を緩急自在に操作する才質をしたたかに持っていたことと無縁ではない」、「空海という人物のしたたかさは、下界のそういう人情の機微の操作にあったといえる」、「空海はうそをいう人ではなかったが、ただ謙虚な人ではなく、むしろ自讃する人であった」、「空海はそういう論理をまもるということについては、厳格、忠実なだけでなく、ときに守るために必要な政治臭をもつという点で狡猾なほどであった」と、著者は空海の強かさに繰り返し言及している。
「密教が勃興してまだ歴史があたらしいということは、日本から遠景としてそれをみれば、それ以前の仏教よりもさらに発展した形態であるという印象になるであろう。のちに空海の競争者の立場におかれる最澄ですら、自分が(唐から)持ちかえった天台宗の体系に自信をもちつつも、しかしその体系に密教が入っていないことを悩み、一方空海のほうは、『密教こそ仏教の完成したかたちである』として最澄の体系に対抗し、しかもその自信は終生ゆるがなかった」。空海は、インドにも中国にも見られないほどに論理的完成度の高い密教を作り上げた世界唯一の人物だというのが、著者の結論である。純粋密教というのは、空海が確立したもの以外はその後ほどなくインドでも中国でも消えてしまい、チベットではすぐさま変質し、今ではどこにも遺っていない、空海の思想のみが遺ったというのだ。
また、「かれ(空海)がみずから感得した密教世界というのは、光線の当てられぐあいによってはそのまま性欲を思想化した世界でもあった」と、著者は踏み込んだ表現をしている。
類い稀な論理化能力、優れた劇的構成力、鋭い政治的感覚を持つ空海が、超人的な精神と論理を懸命に駆使して、インドにも唐にもなかった「真言宗」という密教を理論的に構成し、確立したのである。真言密教という豪華絢爛たる壮大な体系を樹立したのだ。強かな性格だったからこそ、空海は「悪魔的なほどに複雑な論理を構築する男として歴史に登場する」ことができた、と著者が結論づけている
空海を語った本で一番よく知られている(一番売れている?)本だろう。たしかに読み易い。
わたしもご多聞にもれず、かつて、この本から空海に入った。他に読みやすく手ごろな空海の本がなかったという事情もある。
その後、空海に関する本をいろいろ読み、また東寺や高野山を訪れ、まがりなりにも30年、空海を追いかけてきた。そして今、この本は空海への入口に過ぎないとつくづく思う。
これで空海のことは大体わかったような気になってしまうケースがどうも多いようだ。しかしこの本の空海像は何から何まで漠然としているのです。ところが読者は漠然とした話であるはずのことを脳裏に焼き付けてしまう。いつしかイリュージョンがイリュージョンでなくなってしまう。
語り部(手品師?)、司馬遼太郎の面目躍如たるところだろうが(それが作家としての端倪すべからざる能力!)、読者は自分がいい餌食になっていることに気づかない。これは不幸だ。この本を入口にするのは良いが、それで完結して満足してしまう読者は気の毒に思える。もっと肥沃な領野が広がっているのです。功罪相半ば、とはそういう意味である。
本当の空海に少しでも近づくことを願う人に、僭越ながら経験から僅かながらの示唆を提供させていただきたい。わかり易い本とは言えないが、ちくま学芸文庫『空海コレクション2』をまずはお勧めしたい。だがこの本は解説が回りくどいのが難点。いっそ、門外漢である建築家が最近出した著書の後半部分で空海のセンテンスを選りすぐって解説している
難しい表現や、見慣れない漢字、漢文まで登場します。
今の若者には、敷居の高い本でしょう。
司馬作品の中でも、かなり難解で司馬さん自身も迷いながら自信がなさそうに書いています。
期待が大きかっただけに密教の部分にもうちょっとスポットを当てていただきたかった。弘法大師の生涯については幾分空想にすぎる嫌いが気になるものの、勉強になりまし
同じ金額で、上下で、保存状態、再販日付に落差がありすぎます。これに懲りて、最初から、書店で購入しま
空海を知りたいと思った時、なかなか本に巡り会えなかった
ネットで探しようやくたどり着いた
読んでさらに感動!!!!!!!!!!
わたしの人生の中で最大の人生です
空海という日本人の心に深く根ざし、自身が信仰の対象となっている特異な存在を、
「小説」として描くというチャレンジ自体、司馬遼太郎にしかできない偉業と言える。
本文にある通り、「小説」ではあるが、司馬作品である以上、現代に残された文献・
資料を吟味し、浮かび上がった「事実」を紡いだ著述となっており、事実の隙間を
推理で埋めていく独特の語り口となっている。
空海という実在の偉人を、徒に神格化せず、生身の人間の感触と共に、読者に示す。
他方、空海の実際に残した業績については客観的かつ冷静に分析し、その思想の根幹
について空海前後の仏教を含めた宗教・文化との相関で整理してみせている。
何より、日本人初の「国際人」としての空海の意識を浮かび上がらせている点に注目
したい。その点には作者自身との共通点を感じる。
密教や、仏教の知識はあるに越したことはないが、この稀有な作品を楽しむのに必須
ではない。NHKのドキュメンタリー特番の素材となっている名作。読書の醍醐味を
感じさせてくれる逸品と言えよう
今年は空海1200年忌?
いままで敬遠していましたが ようやく読む気になりました
この本は書店ではなかなか見つけられなかったので、素早く購入できて、満足です。
安い品だったので、どんなものが来るのかと不安でしたが、痛みが少なく、まあまあ満足できるものでし
安価に、素早く、状態もいいもので、満足しました。
非常に満足しまし
私が、最初に司馬遼太郎を読んだのがこの本です。空海の修行時代には空白があり、文献も残っておらず謎が多いとされています。空海自身も書き残していません。著者はその空白を想像力で埋め、空海の実像を描こうとしています。ただ、司馬遼太郎の空海像は否定できないと思います。
空海とよく比較されるのが最澄でしょうか? 同時代に生きた二人の確執もおもしろく書かれていて、
— 没有更多了 —
以下为对购买帮助不大的评价