本网唯一 《 ·127 西上录》即《西游日禄》 附扈从十日录 (日)海保漁村 著 旅行日记 约天保十三1842年日本刻本 皮纸一册全 精写刻本无片假名
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428
五品
仅1件
作者(日)海保漁村 著
出版人可也简堂
年代1842
纸张皮纸
刻印方式木刻
装帧线装
尺寸22.8 × 15.3 × 0.9 cm
册数1册
货号X-32 21-00785
上书时间2020-01-02
商品详情
- 品相描述:五品
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自然旧,有黄斑,整体有线状虫蛀及虫眼贯穿
封底基本缺失,靠近封底处虫蛀较严重
具体品相如图所示
- 商品描述
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X-32 21-00785 ·127 西上录 一册
部分タイトル日光法親王(輪王寺宮舜仁親王)の上京に扈従する友人の小島宝素(尚質)に伴い、江戸より東海道を上京した旅の漢文体日記。天保13年9月3日出発、22日京着までの「西上録」。自序によれば、外に在京中の日録「京摂録」、奈良初瀬伊賀伊勢を経た帰途の日録「東帰録」があるという。実際の見聞体験を淡々と記すとともに、主に武田勝頼関係の古戦場に思いを致すことが多い。3日法親王は朝東叡山を発、芝街で休み、午時品川着、従者は数百名。午飯後、六郷、大森、川崎駅泊。4日金河台、程谷、戸塚で午飯、藤沢泊。香竹塢が来訪。慶長9年に台徳公が定めた里程制と一里塚の話あり。5日雨のため藤沢に滞在、小島と清浄光寺に行き、「一遍上人知真伝記十巻」を観る。粟田口隆光画、真教上人書。外に「徳阿弥有親公発願文」「一遍上人草書仏名一幅(竹葉名号)」「菅公道真書法華普門品一巻」「王若水古木鳴禽図一幀」を観る。山内勝春(善画)も同観。6日馬生川の水位が高いため滞留、北君養と江の島行。7日稲田村、大礒客舎(招鶴亭)泊。8日鷸起沢、梅沢村、酒匂川、小田原駅泊。9日未明より箱根越、筥根祠に参詣、社前の大釜、鐘銘を観る。箱根駅、山中茶肆、長坂、宗閑寺、三島駅泊。10日黄瀬川、沼津駅亭で小憩。沼津侯爵医員島津恂堂(嘗て劉君茝庭に医を、筆者に漢学を学ぶ)に書を寄せると喜び来訪あり。原駅、一本松村、浮嶋原、「芙蓉一峰斗絶空際…余之在江都。特見此山之聳出雲表。今則終日行其下。対其孱顔。何其幸也。嗟乎」。吉原駅で午飯、「左富士」を見る。蒲原、由井、薩埵嶺、興津駅泊。11日庵原川、江尻川より久能山に至り参拝、王駕は徳音院に入る。古宿、平松、府中泊。12日浅間祠、安倍川(神祖が幼時に印地を観た逸話)、蘿径(蔦の細道)、羽倉天則撰文・河三亥書字の碑を観る。藤枝駅泊。13日嶋田、大堰河、金谷駅、佐夜中山、日坂、掛川駅泊。14日腹川、名栗村、袋井駅、見附駅、浜松駅泊。14日、舞阪駅、荒井駅、白洲賀、猿埒、「居民大抵開茶店鬻槲糕。老媼少婦。又往往在路上衒売之」、吉田駅泊。太田晴軒を訪問、「晴軒病在牀。然罄咳風生猶昨也。与語移時。甚暢。出近文若干篇。又言。於経義頗有新得。草率之際。無由叩問。及将告帰。以新刻老子解見贈。亦見平生学殖之富也」。16日豊河橋、御油、赤坂、八幡祠、岡崎駅泊。17日矢矧河、野地、今村、八橋行、池鯉鮒、桶峡、明和年中千代倉某が建てた「今川義元戦死地」碑と近時秦鼎が建てた碑を観る。有松村、山崎橋、熱田駅泊。尾藩侍医浅井東太が来訪、所蔵する「顔師古注原本漢書食貨志古鈔一巻」を持参、「蓋八九百年前旧物。古島(小島か)君家有其影鈔本。余嘗僭観比校。其可拠以訂今本之訛者甚多。蓋世所伝漢書古本。莫出其右者也」。18日熱田宮に参詣、佐屋道を行き、岩塚、万場、佐屋駅、尾公さし向けの船に乗り、桑名泊。仏眼院に尊円親王書「延暦寺記」があると聞くが行かず。19日四日市、石薬師、庄野、亀山、関泊。20日一瀬村、鈴鹿川、筆擲山、土山、水口、石部泊。21日六地蔵村、目川村、「食肆多鬻菘飯。〈以菘菜細剉爚而糝之飯曰菘飯〉都下食店。有以目川為招牌者。本此」、草津駅、狼河、勢田橋、石山寺参詣、馬場村、義仲寺、大津泊。22日相坂、追分、粟田口、三条大橋、巳時に樵街客舎に着。
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