• ◇日文原版書 金子兜太 安西篤 (著) 俳人 现代俳句诗人/签名本
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◇日文原版書 金子兜太 安西篤 (著) 俳人 现代俳句诗人/签名本

156 九五品

仅1件

北京通州
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作者安西篤

出版社海程新社 平成13年刊

出版时间2001

装帧精装

货号hw96

上书时间2022-06-03

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品相描述:九五品
9.5成新,有作者签名和章
商品描述
金子兜太 (传记)
安西篤 著
海程新社 平成13年刊
32开精装本,536页。

金子 兜太(かねこ とうた、1919年(大正8年)9月23日 - )は、俳人。
埼玉県比企郡小川町の母?はるの実家で、1919年9月23日、元春?はるの長男として生まれる。2歳から4歳までその父の勤務地であった上海で過ごす。父は、「伊昔紅」という俳号を持つ俳人でもあった。旧制熊谷中学、旧制水戸高等学校文科乙類、東京帝国大学経済学部卒業。高校在学中に全国学生俳誌「成層圏」に参加し、竹下しづの女、加藤楸邨、中村草田男らと知己を得る。1941年、加藤楸邨主宰の「寒雷」に投句。1943年、大学を繰り上げ卒業して日本銀行に入行。海軍経理学校に短期現役士官として入校、海軍主計中尉に任官、ラバウルなどに従軍を経て1947年に復職。在職中は労働組合の専従事務局長を務めた[1]。

1946年、沢木欣一の「風」創刊に参加。戦後の前衛俳句の旗手として頭角を現し、社会性俳句運動の主導者となる。1951年、福島の藤村多加夫の持ち家に住みながら「波郷と楸邨」を『俳句研究』に執筆した。1961年、『造型俳句六章』において、主体がメタファーを通して対象のイメージを感得するという「造形」の理念を提唱。また小林一茶、種田山頭火を論じ漂白詩人の再評価も行った。1962年、同人誌「海程」を創刊(1985年より結社誌)、主宰。主な句集に『少年』(1955年)、『金子兜太句集』(1961年)、『蜿蜿』(1968年)、『遊牧集』(1981年)、『詩経国風』(1985年)、『両神』(1995年)、『東国抄』(2001年)がある。

1955年より日本ペンクラブ会員。1974年、日本銀行を退職。上武大学教授(79年辞職)。1983年より現代俳句協会会長、1987年より朝日俳壇選者、2005年より日本芸術院会員。一ツ橋綜合財団理事。

代表句 [編集]
曼珠沙華どれも腹出し秩父の子(『少年』、1955年) 
銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく(『金子兜太句集』、1961年) 
彎曲し火傷(かしょう)し爆心地のマラソン(『金子兜太句集』、1961年) 
人体冷えて東北白い花盛り(『蜿蜿』、1968年) 
梅咲いて庭中に青鮫が来ている(『遊牧集』、1981年) 
おおかみに蛍が一つ付いていた(『東国抄』、2001年)

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