戦雲の夢 (講談社文庫) 司馬 遼太郎 著) 孤本低价打折特价书 阅读本文古装古代时代文学词语表现 佐22万石の大領を率いる長曾我部盛親は関ケ原に敗れ恥多い戦陣への野望悲運の武将を長編小説
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作者日本文 : 司馬 遼太郎 (著) 1984/11-01
出版社JAPAN 講談社文庫) 文庫 – 1984/11-01
ISBN9784006000448
出版时间1984-11
版次1
印刷时间1984-11
印数3千册
装帧平装
页数423页
字数397千字
定价97元
货号207-1512210-kdsbすk
上书时间2022-09-12
商品详情
- 品相描述:九品
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戦雲の夢 (講談社文庫) 文庫 – 1984/11-01
司馬 遼太郎 (著)
孤本绝版低价打折特价书 阅读本文的推理殺人虐待情爱词语表现
佐22万石の大領を率いる長曾我部盛親は、関ケ原の戦いに敗れ、一介の牢人の身に落ちた。恥多い謫居の中で、戦陣への野望を秘かに育くみ、再起を賭けて、遺臣たちと共に大阪夏ノ陣に立ち上ったが……。大きな器量を持ちながら、乱世の動きにとり残された悲運の武将を、鮮やかに描き出した長編小説。
I文庫: 423ページ東京・山形殺人ルート (講談社文庫) 文庫 – 1998/06-01
西村 京太郎 (著)文库版本
文庫: 298ページ
出版社: 講談社 (1998/06-01) 孤本绝版低价打折特价书 阅读本文古装古代时代文学词语表现
- 商品描述
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戦雲の夢 (講談社文庫) 文庫 – 1984/11-01
司馬 遼太郎 (著) 孤本绝版低价打折特价书 阅读本文古装古代时代文学词语表现
佐22万石の大領を率いる長曾我部盛親は、関ケ原の戦いに敗れ、一介の牢人の身に落ちた。恥多い謫居の中で、戦陣への野望を秘かに育くみ、再起を賭けて、遺臣たちと共に大阪夏ノ陣に立ち上ったが……。大きな器量を持ちながら、乱世の動きにとり残された悲運の武将を、鮮やかに描き出した長編小説。
I文庫: 423ページ
出版社: 講談社 (1984/11)
言語: 日本語
ISBN-10: 4061833707
ISBN-13: 978-4061833708
主人公は長曾我部盛親。父親の元親は戦国の覇権を信長や秀吉と争い、一時は四国全土を手中に収めたほどの人物である。秀吉、元親が相次いで死んだあと、元親の家督をついで土佐の大名となった盛親は、関が原の戦いで西軍についたために家康に所領を没収される。大名が一夜にして牢人となったのである。牢人時代は京で家康の監視下、塾の先生をしてひっそりと暮らしていたが、15年後、大坂の役で再び豊臣方について破れ、ついに歴史の舞台から姿を消した。
「梟の城」「上方武士道」「風の武士」に続く長編4作目である。歴史上実在の人物を、できるだけ史実に忠実に展開していくのが司馬の小説のひとつの型だが、4作目の本作ですでにその型の完成が見られて興味深い。また主人公の周りに常に3,4名の美しき女性を配し、異なった性格付けで主人公に絡ませていくのも初期から中期に見られる司馬作品の特徴のひとつだが、その点でも嚆矢といってよいだろう。
これ以前の作品には短編が多く、取り上げる男のタイプには、盛親のように活躍の場に恵まれず鬱屈した精神の持ち主が多い。逆にこれ以降の作品では、坂本竜馬、近藤勇、斉藤道三、織田信長などカラッとした英雄タイプを多く取り上げるようになる。また本作の連載中につとめてい...続きを読む ›
長宗我部盛親。現代から見れば「歴史のうねりに飲み込まれた不運な武将」の一言で片付けられてしまうような人物ですが、司馬遼太郎は盛親を「自分の生涯の意味を考え、悩み苦しむ青年」として、日常生活から合戦の場までを細かく、リアルに描いています。この点は小説家司馬遼太郎の非凡な力量が発揮されているところだと思います。
そのため、本書は歴史的のおもしろさよりも哲学的なおもしろさが強く、人生について考えさせられる一冊と言えます。特に、盛親が夏の陣へ向かう直前に発した言葉が印象的であり、またこの一言に本書の内容、メッセージが凝縮されていると思いました。
「人間の一生が仕合せであったかどうかは、息をひきとるとき、自分の一生が納得できるかどうかできまることだ」
xx
大器の器といわれ、若くして土佐二十二万石を継いだ長曾我部盛親は運命のいたずらから西軍に組してしまう。運命を受け入れ、関ヶ原に参陣し、南宮山に陣を張った盛親の背後には家康に内通した吉川広家が陣を張ることに。。。内通に気付いた盛親は眼前を通過する家康を歯噛みする思いで見つめながら、関ヶ原での唯一の戦闘命令『荷駄隊を下げ退却準備をすること』を下す。
十数年の月日が流れ、京で蟄居中の盛親は大野治長からの召集に応え大阪城に入城。夏の陣、藤堂高虎との一戦。盛親は生涯で一度だけ自分の才気の全てを賭け、藤堂勢を打ち破り、完勝を果たす。が、道明寺方面では後藤隊が壊滅し、翌日の真田幸村の突撃虚しく大阪城は落城。
『そろそろ、狂言は果てる。人の世から退散するころあいではないか』
死力を尽くした最後の一戦の後、見方の総崩れを知って笑い転げながらつぶやく盛親。そこには結果はどうであれ自分の全てを賭けた者の清々しさ、充足感がある。関ヶ原の折、眼前を通り過ぎる家康を討つ決断ができなかった事を悔いる盛親はそこには居なかった。勝ち負けは時の運、充足した生を送れるかどうかは自ずからどう生きるかである。
長曾我部元親の生涯を描いた『夏草の賦(上)、(下)』を読んでから本書を読むことをお奨めする。片田舎の一領主から四国全土を統一した偉大な父親である元親とその元親が期待する盛親の兄、信親の非業の死を読むと冒頭での盛親の放蕩ぶり、背負ったものの大きさが一層際立ってくると思う。
労している。盛り上がる出来事が少ないから、
司馬の小説には珍しく5人もの(それぞれ個性の違った)女性を登場させ、
男女のあやを描いてなんとかこの長編を最後まで引っ張っている。
「夏草の賦」(あっというまに四国全土を席巻した長曾我部元親と
その出来過ぎた長男信親の物語)を読んだときに、司馬がその5年前に、
元親の跡をつぐ4男盛親を主人公にした当書を書いていたことを知った。
「戦雲の夢」は長曾我部の滅びの物語である。主人公の盛親はのびやかに、
前を見てつきすすむというタイプではない。むしろ鬱屈している。
生まれながらにして大名だから教養はあるが欲がない。作中でもこう
言われている。(右衛門太郎とは盛親の事である。)
・・虎狼のごとき欲というのは、学んで持てるものではない。
人にうまれついたものじゃ。元親どのにはそれがあったが、右衛門太郎どのは、
惜しくも骨柄を受け継いだのみで、虎狼の欲を受け継がなんだ。骨柄と才覚が
あって欲の薄い者は、天下の大事を乗りきれまい。・・
秀吉の死とともに徳川方と三成方との熾烈な戦いが始まる。運が悪いことに
元親はそのとき病気で長曾我部家は政情のなかでひとり取り残されてしまう。
元親があまりに辣腕で政治をおこなったので、家臣は誰も戦いにはたけていたが
経世の才のある者が一人もいなかった。
結局盛親は三成に味方し、戦いもせず中途半端のまま破れ土佐22万石を
失ってしまう。盛親は一転京都で幽閉され寺子屋の師匠になってしまう。
でも本人はそれを悔しいとも思わない。最後に大阪の陣で大活躍するが
それもむなしい。秀頼とともに滅んでしまう。
き頃帰化した韓人の子孫と言われ、秦(はた)氏を称して信濃国に住んだ。一説に応永年間(1394-1427)、17代元勝が遥かな土佐に流亡し、長岡郡曾我部を領した。土佐には香我美郡にも曾我部の地名があり、此れを区別して郡名の頭文字を取って「長曾我部」(一方は香曾我部)と名乗った。以来百数十年、一土豪に過ぎなかったが、20代元親(1539-1599)が出るに及び、一代で四国全土を斬り取る勢力となった。
長曾我部右衛門太郎盛親(1575-1615)は、長兄弥三郎信親が豊後戸次川で戦死した後、四男でありながら世子となった。幼時より既に貴公子然として育てられ、伏見・大坂で成人。長曾我部家は国許では侫臣久武内蔵助親信が専横し国政が二分し、既に全ての情熱を喪失していた元親は、政務を顧みなかった。やがて関ヶ原の前年に元親は病没し、その葬儀や家督相続、国内安堵の為、盛親が長期間帰国せざるを得なかった時期に、政治情勢は大きく変転する。徳川家康は太閤の遺訓に背き、大名間の交際や婚姻を推し進め、隠然たる勢力を殖やし、それに激しく対抗する石田治部少輔三成らが遂に戦陣に踏み切る。日本中の大名が旗幟を鮮明にせねばならない切所に、盛親は冷静に判断して東軍の有利を見て、徳川家康に馳走しようと決意した。
此処に歴史の痛烈な皮肉がある。東軍に参加する為東下した長曾我部家の十市新右衛門、町三郎左衛門は近江水口で長束正家の配下によって行く手を阻まれ、虚しく復命して長曾我部家は遂に西軍加担の運命に就くのだが、一方で山内對馬守一豊の家臣、市川石見は機略を以て同所を突破し、見事に命を果たした。山内家は、遠州掛川6万石から、長曾我部家に取って替わり土佐22万石の国持大名へと飛躍を遂げる。
関ヶ原では南宮山の毛利勢と共に傍観に徹し、最後は血路を開いて落ち延びるが、遂に土佐一国は破却され、盛親は大名牢人に落ちぶれて京の鴨川のほとりで手習いの師匠として世を過ごした。爾来10年、煩悶の時を経て東西手切れとなった時、秀頼の乳母子で、大坂方の大野修理亮治長の要請を受け、山野に雌伏していた多くの長曾我部家旧臣と共に、大坂城に入った。
大坂城内には往年の夢を恋う将士が10万以上入城していた。後藤又兵衛基次、真田左衛門佐幸村、塙団右衛門直之、薄田隼人正兼相、明石掃部全登、古田織部正、岡島道喜(小早川家)、御宿勘兵衛正友(越前松平家)、細川与五郎興秋(細川忠興次男、忠利の兄)、北十左衛門(南部家)、小倉作左衛門(蒲生家)、米田監物(細川家)などである。
彼等は皆、戦国生き残りの豪勇であり、関ヶ原牢人や、幕府の改易を受け滅んだ大名家の牢人達で、何れもが海内最後の大戦に、鮮やかな男の死に花を咲かそうと意気に燃えていた。著者は、塙団右衛門の口を借りて、盛親の心情を表現している。団右衛門は、水戸徳川家の家臣、肥田志摩に寄食していたが、東西手切れを聞くや、即日水戸を発った。肥田志摩が、同じ戦うのでも、東軍なれば仕官の途もあると薦めると、団右衛門は、
『このたびの合戦、おそらく関東の御勝利でありましょう。お人数もおびただしく、大坂に十に一つの勝ち目もござらぬ。しかし、関東につけば大将になれますまい。侍とうまれた以上は、一手の大将として、錦をきて采配をふる身になりたいものじゃ』
『というわけで拙者の正念は、勝敗にはござりませぬ。男の一生をかざりたいだけでござるよ』
と述べている。盛親もまた、万に一つの長曾我部家再興を思うより、鮮やかな采配を振るい、古今無双の名将振りを発揮して、その配下の遺臣と共に、土佐兵の勇猛さと武名を後世に迄輝かせようと覚悟した。事実、大坂冬ノ陣、夏ノ陣共に長曾我部盛親勢の武名は際立って高く、特に夏ノ陣では、東軍主力の藤堂和泉守高虎の部隊と激闘し、巧みな伏兵から見事な進退を繰り返し、一門の藤堂仁右衛門高刑、藤堂勘解由氏勝を始め、大将4人、上士63人、歩卒300人を討ち取る西軍唯一の完勝を得た。
戦雲の夢は、これで二回目の読了となります。
前回のイメージでは、運のない盛親を描いた、男の生き様って感じを
抱いていました。
悲運と言えば悲運。しかしながら、迂闊といえば迂闊。
東軍につくはずであった盛親が、準備不足から西軍についた関が原。
死に場所を求めた冬の陣、夏の陣。
その盛親の周りを囲む坊主、家臣、田鶴、里。
大きな器量をもつ武将の悲運、と裏表紙の紹介に書いてありますが、
大きな器量を示すものが何もないので、匹夫の勇に優れた、家臣に
人気のある盛親の生き様。と言う感じで、この時代、策謀と陰謀に
消えていった大名、君子が多かったんだろうなあ、と感じ入る。
やっぱり男は闘わないと。死に場所を求めないと。武士だから。
闘って、闘って、陰謀に呆れたら、どうするか考える。
こんな事言うと、闘わないで死んでいく道を選ぶ人に馬鹿と言わ
れるんでしょうねえ。
75点かな。一回目も二回目もほぼ同じ読後感でした。
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土佐二十四万石の太守である長曾我部元親の四男として生を受けた、長曾我部盛親の生涯を描いた一冊。
関ヶ原前夜、他界した父元親に代わり、家督を継ぐ。しかし、時すでに遅く、中央に疎い国の事情も重なり、時勢に流されるまま、大坂方に味方し、関ヶ原で敗北を喫す。その後、京都所司代監視の下、長い隠遁生活を送るが、再起を掛け大阪の陣へと挑む。しかし、またしても敗北を喫し、歴史の舞台から姿を消すことになる不運の英雄である。
本書で描かれている盛親は、英雄としての盛親ではなく、自らの器量と葛藤しながら「人生」について苦悩し、生きていく等身大の姿である。物語は、その
英雄的な父親が築いた自家を滅亡させたドラ息子、という程度の認識でした。しかし、長曾我部家内の政治的混乱、急速に展開する世の中、常に後手後手にまわってしまう政策、関ヶ原では東軍に参加したいのに西軍に入らざるを得なくなってしまう不運等々、とにかく盛親が気の毒になってしまう前半。関ヶ原後は 22万石すべてを没収され、あっという間に京都で浪人に。前々から元大名が浪人になってどう生活したのか興味があったので、つねに監視の目のある盛親の塾教師としての生活は興味深く読んだ。この本の面白いのは、盛親の心の中が手にとるように分かること。15年を超える浪人時代、そして大坂の陣で盛c
司馬作品を読んでいていつも感服させられるのは、登場人物のキャラクター設定と台詞や仕草の描写の見事さです。実在の人物なだけに難しい事と思うのですが、史料を丹念に読み込み周辺状況に思いをはせた上でその人物の心情や行動を活写する技は天才としか思えない。例えば本作のクライマックスでの盛親と弥次兵衛の描写は、おそらくどんな文献を調べても「その時桑名一孝はこう行動した」という記述は無いはずです。しかし、読んでいる方は間違いなくその時の二人はこんな風に視線を交わしたに違いないと思える。よく「司馬史観」と言いますが、司馬さんの凄さは歴史だけではなくそこに生きた「人間」を見る洞察力ではないかと思います。本作は比較的初期の作品ですが後年の達人技とも言うべき諸作へ繋がる重要な一作と思います。
昭和35年から翌36年に渡って小説誌に連載された司馬37歳頃の作品である。
主人公は長曾我部盛親。父親の元親は戦国の覇権を信長や秀吉と争い、一時は四国全土を手中に収めたほどの人物である。秀吉、元親が相次いで死んだあと、元親の家督をついで土佐の大名となった盛親は、関が原の戦いで西軍についたために家康に所領を没収される。大名が一夜にして牢人となったのである。牢人時代は京で家康の監視下、塾の先生をしてひっそりと暮らしていたが、15年後、大坂の役で再び豊臣方について破れ、ついに歴史の舞台から姿を消した。
「梟の城」「上方武士道」「風の武士」に続く長編4作目である。歴史上実在の人物を、できるだけ史実に忠実に展開していくのが司馬の小説のひとつの型だが、4作目の本作ですでにその型の完成が見られて興味深い。また主人公の周りに常に3,4名の美しき女性を配し、異なった性格付けで主人公に絡ませていくのも初期から中期に見られる司馬作品の特徴のひとつだが、その点でも嚆矢といってよいだろう。
これ以前の作品には短編が多く、取り上げる男のタイプには、盛親のように活躍の場に恵まれず鬱屈した精神の持ち主が多い。逆にこれ以降の作品では、坂本竜馬、近藤勇、斉藤道三、織田信長などカラッとした英雄タイプを多く取り上げるようになる。また本作の連載中につとめていた新聞社を退社し本格的な作家生活に入るなど、いろいろな意味で境界線に位置する作品であると思う。
ちなみに長曾我部盛親から取り上げた所領は山内一豊に与えられた。盛親が去ったあとの長曾我部侍の悲惨は「巧妙が辻」に描かれている。また父親の長曾我部元親の生涯は「夏草の賦」に丁寧に描いている。これらの作品もぜひ一緒
武芸に優れ、計略もできる。武将としての能力は十分ある。
でも、彼には何とかして這い上がろうとする野心がない。
大坂の陣での盛親は、関が原時代の享楽的な人生感を持っていた盛親とは全然違います。
責任感も増してますし、自分で決断することができています。
しかし、もっと根本的なところは結局変わってなかったんじゃないかなと思います。
どこか「ゲーム感覚」で自分の立場を見てるんじゃないかな。
指揮官であることを自覚しつつも、先陣を切って敵陣に突撃したり。
「公」と「私」をうまく分別できてない。見てて危なっかしい。
結局スリルを楽しんでるんです。
最初から最後までそんなところは変わりませんでした。
彼は幸村のような完全無欠の軍神ではなく、
作者も述べているように、義経のような見てて危なっかしい人物です。
だからこそこの人物は魅力的なんだなと思います。
もっと長宗我部家に知名度があれば、人気があったろうなと思います。
彼を取り巻く周りの人物もすごく魅力的です。
弥次兵衛、雲兵衛、林豪、里・・・
形式: 文庫
盛親は四国征伐をした先代の長曾我部元親ほどの功名は上げていない。戦後時代にあって、それほど注目された武士でもない。その盛親をこれほど魅力のある男に表現するのは司馬遼太郎でなければできない。
22万石の大名がいきなり牢人になってしまう有り様は、現代で言えば管理職が派閥抗争に負けてリストラされた状態である。その男が、最後に「大阪 夏の陣」で一花咲かせて散っていく姿は清々しく共感が持てる。
権力の上下関係で悩む大名の盛親、平凡な生活を送る牢人の盛親、最後に武
長曾我部氏の最後の当主・盛親を描いた物語です。
父・元親は長男・信親の死後、ショックで急速に変化してしまいます。
かつての名君も、暴君化し盛親に跡を継がせようとかなり強引なことをしでかします。
その「かなり強引な」結果、誕生した盛親政権も、関ヶ原参戦、戦後処理の愚かさから、土佐一国を取り上げられ追放の憂き目にあいます。
追放後の厳しい監視生活から、大阪の陣参戦、最後までをこの物語で描いています。
滅びの中、それでも旧家に殉じようとする家臣、敵味方にわかれながらもお互いに分かり合おうとする旧主従の「友情」に心打たれます。6人中、5人の方
司馬遼太郎の小説の中で一番好きな作品。
小説としての完成度は、娯楽性と幕末史の描写を高い次元で両立させた「竜馬が行く」や日本史上でも指折りの出来事を重層的に描いた「関が原」に後れを取るかもしれません。
しかし、関が原の合戦で力を発揮できずに不本意な敗戦を喫した主人公が大阪の陣へ望む姿、戦場でのかつての家臣との再会、そして歴史に「もしも」を問いかけるラストと、まるで一幅の美しい水墨画を観るかのようです。
大器の器といわれ、若くして土佐二十二万石を継いだ長曾我部盛親は運命のいたずらから西軍に組してしまう。運命を受け入れ、関ヶ原に参陣し、南宮山に陣を張った盛親の背後には家康に内通した吉川広家が陣を張ることに。。。内通に気付いた盛親は眼前を通過する家康を歯噛みする思いで見つめながら、関ヶ原での唯一の戦闘命令『荷駄隊を下げ退却準備をすること』を下す。
十数年の月日が流れ、京で蟄居中の盛親は大野治長からの召集に応え大阪城に入城。夏の陣、藤堂高虎との一戦。盛親は生涯で一度だけ自分の才気の全てを賭け、藤堂勢を打ち破り、完勝を果たす。が、道明寺方面では後藤隊が壊滅し、翌日の真田幸村の突撃虚しく大阪城は落城。
『そろそろ、狂言は果てる。人の世から退散するころあいではないか』
死力を尽くした最後の一戦の後、見方の総崩れを知って笑い転げながらつぶやく盛親。そこには結果はどうであれ自分の全てを賭けた者の清々しさ、充足感がある。関ヶ原の折、眼前を通り過ぎる家康を討つ決断ができなかった事を悔いる盛親はそこには居なかった。勝ち負けは時の運、充足した生を送れるかどうかは自ずからどう生きるかである。
長曾我部元親の生涯を描いた『夏草の賦(上)、(下)』を読んでから本書を読むことをお奨めする。片田舎の一領主から四国全土を統一した偉大な父親である元親とその元親が期待する盛親の兄、信親の非業の死を読むと冒頭での盛親の放蕩ぶり、背負ったものの大きさが一層際立ってくると思う。
土佐22万石の領土を元親から引き継ぎながら、関ケ原の戦いに敗れ、牢人に身をやつし、大坂城の陣で本懐を果たしていく長曾我部盛親の人生を描いた物語。
この作品は、長曾我部元親の人生を描いた「夏草の賦」から引き続き読んでいくと、歴史がわかり、面白く読むことができます。
司馬さんは、この作品を1960年から執筆されていますから、比較的初期の作品です。「夏草の賦」は、それから6年後「豊臣家の人々」と同時期に、書き始められていますから、秀吉と長曾我部家の関係も取材されていたのかもしれませんね。大坂城の陣の出来事や真田幸村ら名将の活躍なども描かれており、読み応えがある作品です。
本書は戦国末期の武将、長宗我部盛親の生涯を描いた歴史小説です。父親の長宗我部元親を描いた「夏草の賦」に続いて読みました。
長宗我部盛親。現代から見れば「歴史のうねりに飲み込まれた不運な武将」の一言で片付けられてしまうような人物ですが、司馬遼太郎は盛親を「自分の生涯の意味を考え、悩み苦しむ青年」として、日常生活から合戦の場までを細かく、リアルに描いています。この点は小説家司馬遼太郎の非凡な力量が発揮されているところだと思います。
そのため、本書は歴史的のおもしろさよりも哲学的なおもしろさが強く、人生について考えさせられる一冊と言えます。特に、盛親が夏の陣へ向かう直前に発した言葉が印象的であり、またこの一言に本書の内容、メッセージが凝縮されていると思いました。
「人間の一生が仕合せであったかどうかは、息をひきとるとき、自分の一生が納得できるかどうかできまることだ」
最終的に盛親は、冬の陣、夏の陣を通して自分の才能を存分に発揮し、その武名を日本中に轟かせるほどの活躍をします。その後まもなく盛親は最期を迎えますが、自分の一生に納得して息をひきとったと思います。
何を持って納得できる一生と言えるかは、人それぞれです。小さいことをコツコツ続けること、大きな仕事を短期間で成し遂げることなど、本当にさまざまですが、一度しかない人生、最期のときには誰でも納得して息をひきとりたいと思います。
長曾我部元親という名将の子に生まれ、そのままエスカレータ方式で国持ち大名になった盛親。
関が原の前後にトラブルに見舞われたためにやむなく西軍につき、それがきっかけで大名の座からはてしなく落ちぶれる。
たしかに、関が原前後の彼の判断は、多少投げやりなようでもあり、すでに自分の運を捨てているようにも、ふてくされているようにも見えるが、いったん落ちぶれ、再起のチャンスがあると、名誉を取り戻すための最後の戦いに立ち上がる。
一時期の自分の投げやりな態度が、自分と自分の家臣の人生を惨めなものにしてしまった。そのことを痛烈に反省したとき、盛親は生まれ変われるのだが、「自分はこんな人間ではないはずだ」と考え、立ち上がる姿には、凡人として共感できるものがある。
彼は大器でなく、悩みも多く、考えも定まらずに揺れるような人物として描かれているだけに、身近に感じられ、感動できるのかもしれない。
自分は大器ではない、と自らの器量を自覚していつつも、名誉のために命を賭けて戦う男の話です。
長曾我部盛親の一生を描いた歴史小説です。歴史のいたずらで本当の実力を出し切れなかったため現在では関ヶ原以降取り潰された多くの大名と同列に扱われていますが、その実力は島津義弘と並ぶものではなかったでしょうか。
この小説にはそんな長曾我部盛親の恵まれた才能とその才能を使い切れない苦悩が面白く描かれています。
この本とは関係ありませんが関ヶ原で長曾我部家が取り潰され山内家が土佐を収めたことで幕末に郷士階級の坂本竜馬がうまれ、近代日本を拓いたことも歴
大器でありながらタイミングをつかめなくて、不遇時代が長い人生を送った主人公。彼は大阪夏の陣まで、特に熱血するでもなく流されるままに生きていく。その流され具合は、ごく普通の人生であまりにも普通である。 その彼が、最後の合戦で初めての武功を上げ、納得して死んでいく。 なんでもない時期の最後に来る、人生の晴れ舞台。
なんでもないぱっとしない毎日を、じっと過ごすのもありじゃないかと、思わせてくれた一冊でした。
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