日文原版书 おれは権現 (講談社文庫) 司馬遼太郎 (著)
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七五品
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作者司馬遼太郎 (著)
出版社講談社文庫
出版时间1982
印刷时间1983
装帧平装
货号安A08
上书时间2017-08-24
商品详情
- 品相描述:七五品
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书页泛黄
- 商品描述
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おれは権現 (講談社文庫) 文庫 – 1982/12
司馬 遼太郎 (著)
登録情報
文庫: 278ページ
出版社: 講談社 (1982/12)
言語: 日本語
ISBN-10: 4061318063
戦国、それは凄惨残酷な時代であると同時に、気宇壮大な時代でもある。だからこそ、常識を常識とせず、天衣無縫、奇想天外に生涯を全うする人物が輩出するのだ。超人的武勇の裏の意外な臆心、度はずれに呑気な神経の持主のじつは繊細な真情……戦国時代人の剛毅闊達にして人間味あふれる佳話7編を収録。
目次
:愛染明王、おれは権現、助兵衛物語、覚兵衛物語、若江堤の霧、信九郎物語、けろりの道頓
カスタマーレビュー
5つ星のうち5.0知っているようで知らない彼等
投稿者chivarly2005年8月10日
形式: 文庫
福島正則、可児才蔵、花房職秀、飯田直景、木村重成、長宗我部康豊、安井成安をそれぞれ主人公とする短編集。
どの武将も名前は知っているけれどどんな為人でどんな逸話が残っているかは知らない、或いは全く聞き覚えも無いような武将である事と思います。そんな彼等に興味の有る方には是非とも読んで頂きたいです。
平均的な厚さの文庫本に短編7編ではどうしても各々の話は短くなってしまうものです。ですが物足りない感じや薄っぺらな印象は微塵も感じませんでした。流石は司馬先生です。
5つ星のうち4.0なんてカッコイイタイトル
投稿者mfk42001年11月25日
形式: 文庫
おれは権現、けろりの道頓などタイトルがカッコイイ。啖呵をきってるようなリズム感。作品の中にまでノリのよさが続いていく。
5つ星のうち4.0やはり司馬先生の戦国ものはいいねえ
投稿者東郷平八子2012年12月20日
形式: 文庫|Amazonで購入
司馬作品の戦国ものはほとんど読んだつもりですが、これはまだなので早速手に取りました。
司馬先生の作品で描写されることが多い「戦国末期で居場所が無くなった武辺者達の悲哀」が全編にわたってつづられていますね。まぁ、安土桃山〜関ヶ原〜江戸初期までの落剥した大名家にまつわる武将たちのジレンマは題材にしやすいのか、他の作家でも一夢庵風流記を代表として多く扱われていますね。
ただ司馬先生らしいオリジナリティあふれる演出もあって、可児才蔵が臆病者だったり飯田覚兵衛が主君の加藤清正に不満を持ち続けていたりと、意外性あるキャラクター作りに意表を突かれます。
また長宗我部康豊の物語もあり、他作品では元親や盛親の長編もあるので、司馬先生は長宗我部家に相当に思い入れがあるのだと思います。
まあ一部については、無理に女性視点にしたりと、女性をからめすぎかなあと思わんでもなかったですね。これは司馬先生の癖のようで、夏草の賦なんかも女性視点だったのが、いつのまにか元親や信親の視点になってたりします。
それとはまた別に心に残ったのは津本陽氏のあとがきです。
独立される前の鬱屈したサラリーマン時代、その当時から感じていた司馬作品の短編の構成の上手さについての論評など、
下天は夢かなどのヒットを出した歴史作家でもこういう思いがあるんだな…と感じました。
5つ星のうち4.0戦国時代末期を駆け抜けた激烈な男達の生涯7編。
投稿者洛陽浩月楼主人 弱水狂子2013年1月2日
形式: 文庫
「愛染明王」…福島左衛門大夫正則
豊臣政権下随一の荒大名の生涯。桶屋の倅から秀吉に拾われ、狂人かと思われる程に凶悍でありながら、反面異常な迄に将士を愛した故に家中は強固で、戦場では無類の勇猛さを発揮した。また組織作りの才を持ち、領国の経営には大きな治績を挙げている。しかしながら政治感覚が皆無な為に、徳川政権下で骨の髄まで利用し尽くされ、その最期は、改易され配流地で脱け殻の様にその一生を終えた。
「おれは権現」…福島正則家中・可児才蔵吉良。
豪勇の一騎駆けの武辺者として名高い才蔵は自らを山城愛宕権現勝軍地蔵の化身と名乗り、佐々成政、豊臣家、福島家で恐れ知らずの戦働きを誇った。ところが若い頃、明智光秀に仕えた頃はその臆病さで放逐された過去があった。その時牢人中に出会った修験者が、才蔵の出世と共に家禄を折半して、行く行くは自らの子を可児家の跡継ぎにする条件で、天下無双の勇猛心を授けると持ち掛けてきた…。
「助平衛物語」…宇喜多秀家家中、花房助平衛職之。
功名と名誉一筋の男花房助平衛は、太閤を愚弄しても、朝鮮晋州城で後藤又兵衛の功名を横取りしても、何処か憎めない生一本の武者ぶりであった。剛直過ぎるが故に遂に宇喜多家を出奔し、徳川家に迎えられるが、侍大将止まりの武遍の性が仇と成り大名に成り損ねる。その晩年は病身を輿に乗せてまで大坂の陣へ参陣する程の戦好きであった。
「覚兵衛物語」…加藤清正家中、飯田覚兵衛直景。
肥後熊本54万石の家老で1万5千石を食み、賤ヶ岳以来50余度の合戦で勇名を馳せた名将である。幼き日に出身の山城国山崎村で加藤清正らと角力をとり、負けた森本儀太夫一久と共に清正に終生の臣従を誓い、以後加藤家の両柱として武名を鳴らした。その忠誠無比にして、誇り高さと清正との信義を重んじた故に、暗愚な二代藩主加藤忠広を見限って出奔してしまう。
「若江堤の霧」…豊臣秀頼家中、木村長門守重成。
元和偃武の最後の戦いとなった大坂冬・夏の陣。それ迄全く無名であった豊臣譜代の武将木村重成は、その22歳の短い生涯の最後の一年で、不朽の名を後世に遺した。若々しく絢爛とした武者振りに、芝居がかった家康との堂々とした駆引き、美しい新婚の妻の忠節(夏の陣翌年の重成の命日に自害)、更にその首が討った者の末代までの栄えとなった事など、滅びゆく者の儚さ、過ぎし日への思慕と追憶、若さと美貌への憧憬、檀ノ浦の平家の様な華麗さと、湊川の楠木正成の様な悲哀、といった日本人の美学が凝縮された人物である。
「信九郎物語」…長曾我部信九郎康豊。
長曾我部元親の最晩年の落胤で、生母は婢女であった為に農村に伏居していたが、関ケ原牢人達に担がれて、戦雲の大坂城へ入城する。其処で兄の長曾我部盛親に対面し、共に奮戦するが敢えなく落城。盛親は斬首されるも康豊は駿河へ落ち延び、家名を遺した。
「けろりの道頓」…今井道頓。
大坂に道頓堀を遺すも、今に事磧が伝わらない今井道頓。彼は高名な気儘人で、秀吉と並び立っても、彼を圧倒する様な巨大な風格を持っていた。その声望と有徳人ぶりを見込まれ、堀割普請を命ぜられるが、当の秀吉は死に、関ケ原で豊臣家は凋落する。されど道頓は堀割を自ら続けるが、大坂の陣を迎えると、不意に太閤との僅かな縁を偲んで入城し、落城と共に戦死してしまう。堀は戦後の軍政下も工事が続き「道頓堀」の名は城代松平忠明によって、町民の人心を収纜する目的で名付けられた。戦国末期を生きた不思議な男の物語である。
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